藝術は短く、貧乏は長し「直木三十五(なおき さんじゅうご)」

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すっかり春ですね。ガーデンまえだです。
今回は榎木大明神の祠のかたわらにある、直木三十五の文学碑をご紹介します。

直木三十五というのは、大正の末期から昭和初期にかけて活躍した作家。
「芥川賞」と並ぶ二大文学賞のひとつ「直木賞」は、この直木三十五にちなんでつくられたものなんです。
そんな直木三十五の碑がなぜ榎木さんのそばに建てられているのかというと、直木(本名は植村宗一)は大阪市南区内安堂寺町通2丁目、今の中央区安堂寺町1丁目の生まれで、榎木さんの下で遊び育ったから、なのだそうです。

碑に刻まれているのは直木の代表作「南国太平記」の中の一節。

「きっとなせる 市蔵」
「なせる」
大久保市蔵はそういってうなずくと
吉之助の手を握った
軽輩のすべては同じ心で
磯浜を桜島を眺めていた

と彫られています。
「市蔵」とはのちの大久保利通、「吉之助」は西郷隆盛のことですよ。

直木三十五についても、この文学碑についても、何となく知ってる程度だったワタシですが、この碑文が、どんな物語のどんなシーンなのか無性に知りたくなりました。
そして、何の予備知識もないまま入手した『南国太平記』ですが・・・。ページを開くと、冒頭から漂う不穏な雰囲気。なんと1章目のタイトルは「呪殺変」!
「え?ノロイコロスって!そんなコワイお話なの?」とビックリ。
でも、読みはじめたら止まらなくなって、今日は電車を乗り過ごし、仕事に遅刻してしまいました。

ただただ自分が無知だっただけで、この小説、新聞に連載された当初は「大衆文芸に新風を吹き込んだ傑作」と評され、後にこれを原作とした映画が10本も撮られたほどの、スゴい作品だったんです。

ワタシが崇拝する松岡正剛さんも「いってみれば半村良から京極夏彦にいたるまで、山田風太郎の忍法シリーズから岡野玲子の『陰陽師』まで、すべてはこの小説の末裔なのだ。(松岡正剛の千夜千冊 364夜より)」と熱く語られています。
松岡さんはこの書評の中で、直木が関わっていた「プラトン社」についても触れています。「プラトン社」とは、大阪に6年間だけ存在していたという「大正昭和初期の編集デザイン史を華麗に飾った出版社」で、大正モダニズム、阪神間モダニズムの開花に大きな役割を果たしたのだとか。そして、プラトン社が出した『女性』『苦楽』という雑誌には、デザインに山六郎、山名文夫、橘文二、前田貢、執筆者に泉鏡花、与謝野晶子、谷崎潤一郎、稲垣足穂といったすごい面々が名を連ねていたことを知って、ああ、もう興奮が止まらなくなってしまいました。

そんな直木が生まれて育った安堂寺町。あらためて素敵やなと思いました。
さ、『南国太平記』の続き読もっと。

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榎木さんから長堀通りへ降りる、急な坂の途中に文学碑があります。

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谷町6丁目の複合文化施設 萌には、 市民の力で立ち上げられた「直木三十五記念館」があります。


2015-03-20 | Posted in 町のものがたりNo Comments » 
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